
中山伯男。
正直で、一途で、
飾るということを一切しない男。
なかやま牧場の創業者、中山伯男を紹介します。
見た目も中身も、ぼくとつそのもの。正直で、一途で、飾るということを一切しない男。父親が牛の預託事業を行っていた為、 もの心つく頃から牛は大変身近な存在でした。学校に行くようになってからは、家に帰ると一人で牛を引いて農家さんを尋ねたりもしていました。好きが高じて、学校も島根県大田の畜産試験場に学び、青春の一時期を過ごしました。良き師との出会いがあり、人生の方向が定まっていったのもその頃です。
昭和30年代になると機械化が進み、それまでの肉体労働から機械を使う頭脳的労働になり、食生活も穀物をたくさん食べる食事から、栄養価の高い物を少し食べる食事へと代わっていました。たんぱく質の豊富な肉の需要が増えてくるだろうという考えがあり、牛の肥育を昭和35年に始めました。
日本で初めて、乳牛の雄仔牛を肉用に。
昭和40年になるとこれからは、焼肉を食べる人が増えるのでやわらかくて脂身の少ない肉が求められると考え、日本で始めて乳牛の雄仔牛を肉用として育てるという取組みを始めました。初めての取組みということも有り、色々な苦労がありましたが、試行錯誤を重ね飼育方法を確立することが出来ました。 実際に、肥育をおこなうようになってからは、乳牛の肥育という日本で前例の無いことを行った為、当初は後ろ指を差されることもありましたが、1年後に乳牛になれない雄仔牛を活用するみちを見出したということでNHKのラジオ番組に取り上げられてからは、大変多くの方が興味を持たれて 、見学にいらっしゃいました。

複雑な流通ではなく、
産直のお店づくりへ。
昭和44年6月に直営第1号店を徳田にオープンしました。ちょうどその頃国内の牛肉が足らないということで輸入を増やし、国内生産も増やしたため肉牛の価格が暴落しました。ですが、肉牛の価格が暴落したにも関わらず生産者から消費者に届くまでの経路が余りに複雑だったため、いつまでたっても牛肉は高価なものでした。もっと手軽に牛肉を食べてもらいたい、そのためには自分が流通革命を起こすしかないと決心して産直のお店をつくりました。同業他社の方が販売されている価格の半値以下で販売を行った為、同業他社からの強い反発があり、ひどくお叱りを受けましたがNHKの「明るい農村」という番組に出演し、生産加工販売の一貫経営について話したところ、大変な反響があり、遠くの町からもお肉を買いに来ていただき、正月に出す予定の肉がクリスマスには売り切れてしまうような状態でした。
「地元の皆様に喜んでいただける仕事ができたことが幸せ」
昭和50年になると、徳田の直営店舗を改装して「食品総合市場キョーエー」という名前で食品スーパーを始めました。「好きではじめたこの道、大規模経営にはとても至りませんでしたが、分相応の内容で少しでも地元の皆様に喜んでいただける仕事が出来たことを幸せに思っています。」中山は、自身の半生をふりかえり語っています。